人と人との繋がりによって成長させていただいているという実感がある。結局のところ、スポーツは人間本来の成長に繋がっていると痛感しています。
―――フットバッグはどういう経緯で生まれたスポーツなんですか?
スポーツとして始まったわけではないんです。もともとはアメリカのマイク・マーシャルというお医者さんが、膝を手術した患者さんのリハビリ用として靴下に豆を詰めて「足を使って遊んでみてはどうか」と言ったのが起源なんです。その後、みんなが「これゲームとしても面白いんじゃないか」と思って公園に出て、複数人で蹴鞠みたいに蹴っていたんですよ。その後、だんだん技などが生み出されて、今に至るという感じですね。
フットバッグの最初は、“足に乗せる〞という動きはなかったんですよ。ただ蹴るだけ。キックとかリフティングと同じです。リフティングは結構楽しがる人が多いらしく、アジアでもセパタクローとか、羽根が着いたものを蹴るダーカウという競技はあるんです。人間には、足で蹴りたい衝動があるんでしょうね。
だからフットバッグは「蹴って楽しんだらどうか?」というところからリハビリで始まったんです。リハビリはトレーニング自体がつまらないものが多いんですが、そのリハビリを少しでも楽しいものにしたいとお医者さんが考えたんでしょうね。
―――石田選手がフットバッグに出会ったのはどういうきっかけだったんですか?
僕はサッカーを小学校1 年から高校3 年までやっていて、大学1 年生のときにフットバッグを知ったんです。中学~高校の頃は「サッカーでプロになりたい」という気持ちがあったんですが、強豪校に入ると上が見えてくるんです。高校は神奈川県でベスト4 に入る学校だったんですが、そこで自分よりも更に上がいるということを実感して。チーム内にも上がいるし、他校のチームにはもっと上手い人がいる。ということで、サッカーでプロを目指すという気持ちがだんだん薄らいでいったんです。
その後、大学でもサッカー部に入ったんです。そのときは“プロは難しいだろうな〞と思いながらもサッカーは好きだったのでとりあえず入部してみたんですけど、入学したばかりの4 月にスポーツショップでフットバッグを知ったんです。スケートボードとかよくビデオが流れてたりするじゃないですか。ああいう感じでフットバッグの海外のスター選手がプレイしている映像が流れていて、衝撃を受けたんです。僕はもともと目標を持ってやるのが好きなタイプだったので、“スタープレイヤーと同じレベルになりたい〞、“やってみたい〞と思って部活を辞めました。
大学を卒業して一般企業に就職したんですが、その後もフットバッグは続けました。夜10 時位に家に帰ってきて、ご飯を食べて、深夜11~12 時頃から練習を始めて2~3 時まで。その時の目標は国内の全国大会だったんです。もちろん行く末は世界大会にも出場したいという気持ちはあったんですけど、まずは日本の大会でも1 位になろうと思いました。それが2003年の8 月ですね。
出来ないと思ってたものが出来るようになるという成功体験を、自分の感触として知ることが大きいと思います。
―――石田選手は日本で唯一のプロですが、なぜフットバッグでプロを目指そうと思ったんですか?
2008年に就職して、約3 年間勤めた時点で会社を辞めてプロになったんですが、仕事自体は嫌いではなかったんです。メンバーも良かったですし。ただ、先が見えていた。例えばキャリアアップして本社に入ったとして、その仕事の内容が見えていたのが僕はあまり好きじゃなくて。それとは逆に、日本ではフットバッグで生活をしている人はいなかったので、その先が見えないんですよね。そこに挑戦してみたかった。もしフットバッグをやりながら、関連する仕事に就いて生活が出来るのなら、自分の喜びとしていちばんだと思ったので、会社を辞めました。プロということはフットバッグ関連で収入を得ているということなんですが、収入の1 つはパフォーマーとしてイベントに出演すること。あとはフットバッグを生産して販売しています。それまでの日本には模して作ったようなフットバッグしか売ってなかったので、日本のプレイヤーは海外から買っていたんです。でもそのフットバッグだと「難しい」と言ってみんなすぐ辞めちゃうんですよ。本物ではないのでやりづらいのは当たり前で、僕でもちゃんとプレイ出来ないくらいなんです。だから自分で生産を始めたんです。あとはスクールですね。フットバッグを教える環境。一対一もあれば、複数人でサッカースクールみたいにやってる場合もあります。今は独立して7 年目なんですが、ありがたい事にアルバイトをせずに活動ができています。
―――ご自身の経験の中で、フットバッグにはどういう“スポーツの力〞があると実感されていますか?
フットバッグという競技自体、すごく難しいんです。その難しさを超える精神力と集中力を培うことが出来るというのが1 つ。簡単に言うと、フットバッグは一点を見つめてボールと対峙するだけなんです。だから上手くできなくてイラついたりもします。そういったところを超える力を得ることが出来ると思いますね。出来ないと思ってたものが出来るようになるという成功体験を、自分の感触として知ることが大きいと思います。
それと僕は子供に教える機会も多いんですが、子供は夢中になっている状態なので、自然に集中力が付いてくるようになる。それにフットバッグはもともとリハビリのトレーニングとしてアメリカで生まれたものなので、当然のことながら体幹のトレーニングにもなります。あと、そういうスポーツ教室をご覧になっている親御さんにもすごく喜んでいただいています。僕は「親御さんもやって頂いてもいいですよ」という話をするんですが、「じゃあ親子でやってみようかな」という人も出てきたりとかして。結局、こういうスポーツを通して親子同士で繋がりが深くなるのはすごく良いことだと思うんです。
―――石田選手と同じような活動をされてる人は日本にいないんですか?
いないですね。ただ最近は、自分のスクール生が第二波で初めての人に教えるという状況は生まれてきています。女子のプレイヤーもいるんです。プレイヤーだけではなく、オフィスでフットバッグを揉んでるだけというOLの方もいます。その方がおっしゃるには、ヒーリング効果があるらしいです。
どんなアプローチであっても、どんな人であっても、フットバッグが気軽に出来る、フットバッグを知っている、という環境を作りたい。
―――今後のビジョンはどのように描かれているのでしょうか。
僕が独立した時の目的というのは、世界大会とか日本の大会で優勝出来るようなプレイヤーを育てたいというわけじゃないんです。スクール生はそこが目標でいいんですけど、例えばフットバッグでお手玉をやってもらっても全然構わない。どんなアプローチであっても、どんな人であっても、フットバッグが気軽に出来る、フットバッグを知っている、という環境を作りたいんです。高い技術の技を習得しなくても、リハビリなどで足の甲にフットバッグを置いてただ脚を上げたり下げたりするだけでもいいんです。
先ほど言ったようにフットバッグはそもそもが難しい競技で、やり方やコツがわからないとなかなか続かないんです。なので逆に、公園などで遊び感覚で、このフットバッグを蹴っている人が、僕のいないところでも見れる環境を作りたいんです。フリスビーやってるような感じですね。
あと、実はフットバッグはアジアにも知られていないんですよ。ヨーロッパ・アメリカはある程度の認知度があるんですが、アジアでも新たなスポーツとして知ってもらうような普及活動をしたいと思っています。どんどん発展していくと色んな人や団体が関わるようになって拡がっていくと思うんですが、そのきっかけを作りたいと思っています。
それと、日本でも世界大会を開催出来るような状況を作れたらいいなと思いますね。今、世界のプレイヤーたちの間では「日本に行きたい」「日本でやりたい」と言う人も多いんですけど、まだ実現するレベルには至ってなっていないんです。その理由の1 つは、僕はいつも世界大会に出場するためにヨーロッパやアメリカに行っているんですが、日本で開催するとなると、プレイヤー全員が世界大会のために僕と同じくらいの距離を移動する必要が出てくるんです。でもみんなプロではないので、自費で行く必要があるんですね。
―――石田選手にとってのスポーツとは、単にプレイヤーとしての満足感や達成感だけではなく、自己実現というか“夢〞が詰まっているように感じるんですが、なぜ石田選手はそれほどスポーツの力に魅了されたのでしょうか。
やはりスポーツを通して人間として成長できるからだと思うんです。僕はサッカーをやっていたので、団体競技と個人競技の両方を経験しているんです。団体競技と個人競技はどちらもそれぞれの良さがあるんですよね。団体競技は、チーム内での絆。僕の場合は今も良く会うような仲間や一生を通して交流できる仲間を作ることができたんですが、スポーツを通して本当に人生が豊かになるような感触があります。
個人競技については、自分と向き合う事で鍛錬を重ねて、自分を人間として成長させるという側面もありながら、結局は外部の人と人の繋がりが大切だし、人と人との繋がりによって成長させていただいているという実感がある。結局のところ、スポーツは人間本来の成長に繋がっていると痛感しています。
2008 年に株式会社コムデギャルソンに勤務したが、どうしてもフットバッグで生活していく夢を捨てられず2011 年8 月に退職し、プロフットバッグプレイヤーとして活動を開始。2006 年にはカナダに1 年間、2008 年にはヨーロッパに渡り、フットバッグの技術を磨きながら海外の多くの大会に出場し入賞。フットバッグの世界大会である「World Footbag Championships」にて2014 年と今年2018 年に優勝しアジア人初の世界一に輝いた日本を代表するフットバッグプレイヤー。またアジア人で初めてフットバッグ界の殿堂入りも果たした。これは600 万人いるプレイヤーの中で過去45 年の間に79 人のみ選出されている。フットバッグを使用したサッカースキルアッププログラムや他スポーツでの股関節トレーニング、高齢者の方への介護予防としてのトレーニングも各地で実施。日本サッカー協会の夢先生の資格も保有しており、全国の小中学校で夢について教えている。