“人間力”を育てるースポーツと教育を貫く芯 スポーツのチカラ主宰・桃山学院教育大学 副学長 比嘉悟インタビュー

スポーツのチカラ主宰・桃山学院教育大学 副学長 比嘉悟

見えない何かに導かれ生かされている”天職”

スポーツを通して「人間力」を育てる”天命”

教育者生活の50年を振り返り未来を見据える”ぶれない心”

幼少期から中・高・学生時代を振り返る

振り返ってみると、小学校5年生からスポーツをやってました。野球そして中学からはバスケット。高校は当時全国2位のバスケットの名門校へ、勉強も頑張って入学。インターハイ、国体と経験し大学は日体大へ進学。はじめは暗黒の奴隷制度の中で過ごしました(2年生は平民、3年生は天皇、4年生は神様)。入部してすぐに”えらいところに来たな〜”と後悔、夜は些細なことで先輩に”どつかれる”理不尽な事が横行するなかで部員は少しづつ減っていく、そんな折1年生が2年生を”どつく”という事件がおきました。意を決してクーデーターを計画するも大失敗。学校も問題視するだろうと思っていましたが完全にスルー。クーデターの計画漏れで逆に4年生にボコボコにされました。部員のほとんどは故郷に逃げ帰り、自分ひとりだけが部に戻り(先輩のフェイクがきっかけ)仕方がないと諦め、そこで4年間踏ん張る決心を固めました。「自分がキャプテンになったら体罰はやめよう」そう決めた、その年の東京教育大学との定期戦で、部始まって以来の敗北を経験。全国のOBからは「先輩の指導が甘すぎるから負けるんだ」と非難されましたが、体罰では変わらないと自分なりのチームのまとめ方で突き進み、最後のインカレ大阪大会で全国2位となり「弱いチームでも力を合わせれば目標は達成出来る」ことを身を持って体現することとなりました。大学までずっとスポーツをやってきて、いろんな事を経験して失敗もしたけど”スポーツを通じて、心も身体も鍛えられたし、人間力を磨いてこれたと感じています。

教育者として天職を得た、教育者を目指したきっかけとその想い

最近、本としてまとめた”本物の先生から学んできた魂の教え”でも紹介していますが、僕は小学校から高校まで非常にいい先生に恵まれたと感じています。特に、中学の時の体育の先生の影響が大きいですね。当時ものすごく荒れていた、大阪の大正区にある中学ですが、毎日、不良にカツアゲされるような学校でした。そこに東京の大学を出たばかりの、バレーをやっていた新任の先生が赴任してきました。正面から不良とぶつかり喧嘩のすえ翌日からその不良をバレー部にいれて指導。その”やんちゃな生徒”があくる日からちゃんと制服を着て、帽子をかぶり、登校してくる他の生徒に”ちゃんとやれよ”と声をかけるくらい変わった。スクールウォーズの山口先生みたいなイメージですね。それから学校もいっぺんに変わったんです。それを見て”僕も体育の先生になろう”と決めました。「スポーツというのは身体を鍛えるだけでなく、人間も、学校までも変えてしまう力がある」その先生と授業やクラブ活動担任としてもお世話になる機会を得て、先生の後ろ姿に憧れを抱いて自分の目標にしました。

様々な問題を抱える教育界・スポーツ界に対する一貫した改革推進の姿勢

常々言っていますが、学力には「点数ではかれる学力」と「点数では、はかれない見えない学力(人間力)」その2つがあると思っています。親も良い大学へ入れるために、点数ではかれる学力を優先させている現状がありますが、むしろ、”挨拶や言葉使い””コミュニケーション能力”が大切だと感じ、教師生活の50年間変わることなく「見える学力も大事だが、見えない学力(人間力)を大切にする」教育を貫いています。身近な教え子たちが文武両道を実践し、社会へ出て学校の先生や市長として活躍している現実に触れ”見えない学力の力”を実感しているところです。問題解決能力やブレない志はそんなところから形成されていくのでしょうね。

体罰が当たり前のスポーツ教育を体験。50年も前から「体罰では何も変わらない」と改革を訴える

僕は5人兄弟の末っ子で育ちました。現在、兄たちも教育者として生涯を捧げる人生を歩んでいますが、親父、おふくろを含め小さい頃から”人を大切に想う教えや環境”が身にしみていると感じています。自分だけ良ければいいんじゃない”利他の心”が家族の考え方の基本でした。生徒に寄り添って考え行動する、一人ひとりの可能性は無限に広がっています。

「スポーツのチカラ」を立ち上げた経緯とその目的

ビーンジャムの田中社長(共同主宰)より話があり、現在自分はスポーツの世界で販売促進や広告、イベントの企画・運営をやらせてもらっていますが、スポーツ関係者や企業様、スポーツそのものに対して何か恩返しが出来ないでしょうか?と言う相談内容でした。”スポーツを通じて少しでも世の中のお役に立ちたい、改革する提言やシステム作りを目標に掲げています”との言葉に私も賛同しスポーツメーカーや人脈をたより、スポーツレジェンドや関係者のインタビュー集を創刊、発刊記念ではゲストにも来て頂き記念講演も開催しました。そんなビーンジャムの田中社長の想いやチカラが大きいと思っています。

スポーツの力に期待する事

学校教育では机上での勉強が先行するケースが多いように感じていますが、例えば学校に行きたくなくなっても部活動があるから頑張って行こうとか、スポーツの力・魅力で動かされる事があると思います。また、クラブでメンバーと言い合いながら、また助け合いながらそこから育っていくものが将来の糧になるし、みんなで話し合って変えていく(学校や社会)。前向きにトライしていく気持ちが作られる。そんな”目に見えない、大きな力がスポーツにはある”と確信しています。スポーツは上から言われた事をハイと聞いてやるだけではなく、自身の経験からも言える事ですが、クラブ内で切磋琢磨しながら、指導者がいなくても”自分たちで考え、自分たちのプランで練習する”それが僕の理想とするチームスポーツの形です。メンバー同士で鍛え合いながら、対人間がぶつかり合って得るものは貴重ですし仲間で鍛え上げたものには大きな意味があると感じています。

スポーツのチカラ・プロジェクトで成しえたい夢

スポーツの力を借りて、それぞれが、それぞれの場所で目標を持って輝く、人間的にも成長しスポーツを通して明るく元気に毎日を過ごし、お互いが助け合って生きていける環境や社会を創り出す。ひとりの落ちこぼれも出すことがなく、チームとして得た経験を人生の希望にできるような人材を多く輩出することが大きな夢です。

自身に影響を与えた人物・事象、心に留め置く言葉や銘

やはり、5人の子供たちのために、75歳まで働いたおふくろの”言葉や人に対する接し方”が大きく影響していると思います。また、僕が教師になってバスケットの指導を受け持った時、数年は順調にいっていましたが7年目に1回戦で敗退した事がありました。それまでは指導力を持った新任教師と自負していましたが、完全に勘違いしていたし初めて自分の指導力は0(ゼロ)だと思い知らされました。それから僕の中では、「0ポイントの出発」として新しい自分が始まった気がします。そして、教えを請うべく向かったのが当時高校バスケットボールの最高峰である能代工業高校の加藤廣志先生です。訪ねた時はひとりで行ったのですが、加藤先生から”ところで生徒たちはどこですか?”と尋ねられました。”学校にいます”と答えたところ”一日でも生徒と離れているのはただの教師”ですよと教えられ、それからはバスケットの指導も勉強も常に生徒に寄り添い力を注ぎました。「教師というのは燃えるような情熱を持って、生徒の心の中に灯を燈してあげる。そうすると、ずっと燃え続ける」その言葉が今だに私の教育の原点となっています。また、1年生で勉強はもとより朝練、自主練と自分自身で考え行動する生徒が現れました。自主性に富んだその姿を見て正直、指導者として恥ずかしいとさえ感じ心が洗われた気がしました。それからの私はバスケットの勉強も授業の勉強も変わり「教える事は学ぶ事」と悟りました。今の自分があるのは、能代工業高校の加藤廣志先生と教え子の二人に出会ったことが決定的な要因だと感じています。

「今後は教育者となる人材を育てたい」が口癖

私の教師人生も前職の芦屋大学で終わりかな?と思っていましたが、教育者を育てるこの桃山学院教育大学へ神様に導かれるかのようにご縁を頂き赴任させて頂きました。夢が叶い毎日が楽しくて仕方がありません。学生に教えた事をその学生が教師に”恩返し”するのではなく”恩送り”をする。つまり教え子である学生が巣立って、今度はその教え子へとつないでいくこの”恩送り”について学生と語り合っています。「恩送りの連鎖」で、北は北海道から南は沖縄まで子供たちの”心に灯を燈す燃えるような一生”を歩んでほしい。それが最大の喜びです。

教育者として到達点があるとすればどのようなイメージを持っているのか

今まで培ってきた経験や知識、教育に対する思いを身体が動く限りは伝えていく活動を想い描いています。教師・スポーツの指導を続けていく中でご縁を頂き大学へ導かれる頃から教育者は自分にとっての”天職”ではないかと考えるようになり、また啓示を受けているという感覚さえありました。小学生のころよりスポーツに親しみ、インターハイや国体といった目標へも向かい、競技スポーツの裏方としてイベントを開催したり、大型スポーツ施設の立ち上げ運営も経験し、大学ではスポーツを取り巻く環境や新しいシステムの推進にも携わっています。常にスポーツに支えられ、鍛えられてきたことが自分自身を形成している。まだまだ道は半ばですが”スポーツのチカラ”を信じて邁進したいと思います!!

氏名比嘉悟(ひが さとる)
役職桃山学院教育大学 副学長
座右の銘ぶれない心 ”人間力を育てる”
プロフィール1950年(昭和25年)7月22日生まれ。
大阪天王寺商(現大阪ビジネスフロンティア)ー日体大。
卒業後、大阪・羽曳野高校(現壊風館)で19年間教壇に立ち、
その後、大阪府教育委員会保健体育課首席指導主事、保健体育
課参事兼高校総体事業推進室長、大阪府立高校校長、芦屋大教授・スポーツ
教育センター長・学長・理事長などを歴任。21年4月より現職。
主な著書「バスケットボール」共著(一ツ橋出版)
「未来創造型指導者 謙虚に、常に心を磨く」(アップワード社)
「ちょっといい話」共著(新風書房)
「指導者も生徒も光り輝く心のトレーニング」教えることは学ぶこと(株式会社ERP)
「やさしいスポーツ医学の基礎知識」共著(嵯峨野書院)