金戒光明寺 塔頭 紫雲石 西雲院住職 橋本周現

弓道の最終の境地は「不射の射」、つまり射を撃たずに落とす。最終的な目的は人格完成ですから道具は必要なくなるんです。

金戒光明寺 塔頭 紫雲石 西雲院住職 橋本周現

―橋本住職は長年、弓道に携わられてこられたということで、スポーツをテーマにした本誌でインタビューをさせて頂くことになったわけですが、まずは、弓道のお話に行く前に、こちらのお寺、そして住職になられた経緯を教えて頂けますか。

比叡山で修業されていた法然上人が、お念仏の修を会得されて民衆に広めようと比叡山を降りてこられ、真如堂の慈覚大師作の阿弥陀様に「京都でお念仏を広める場所を差し示めしたまへ」ということで祈願されました。そして夕暮れ時、この山を登ったところにある大きな石に腰かけられたとき、たちまち紫の雲がたなびいて金色に染まったと。これこそ瑞相を見たということで、山を下りたところに庵を構えられた。それが浄土宗のはじまりなんですよ。つまり浄土宗で一番最初のお寺がこの金戒光明寺なんです。そのあと応仁の乱で一度燃えたりもしましたが、復興し、德川家が浄土宗の菩提寺ということで庇護を受けてお寺自体も大きくなりました。その中で、宗厳法師という念仏者が金戒光明寺から「紫雲石」を賜り、そこに開創したのがここ西雲院です。私自身はこの西雲院の20 世の住職になります。佛教大学を卒業したあと、一旦は実家の名古屋に戻って、デパートで宝石屋の販売員を6年程しておりました。その後、大学時代の弓道部の後輩だった家内と結婚することになるんですけど、その家内がここのお寺の一人娘だったんです。そういうご縁があって今、住職をさせて頂いております。今回、芦屋学園の比嘉先生から本誌「スポーツの力」でお話させて頂く機会を頂きましたが・・・、それは、今年、比嘉先生とお会いした際にお話しさせて頂いた法話が弓道、つまりスポーツに繋がるお話だったからなんです。ちなみにその時、比嘉先生にお話しした法話は、「三十三間堂の通し矢」のお話でした。毎年、新成人が振袖・袴で矢を射ってますけど、あれは本当の通し矢ではないんです。現在の通し矢では、的までの距離は60M ほどですけど、昔は120M もありました。更に、一昼夜でどれだけの本数の矢を通したかで競うんです。例えば、尾張藩、その次に紀州藩、その次は・・・、と順番に矢を射ていきます。それぞれの藩の看板を背負ってやっているわけですから、前の藩の記録を破れなかったら、武士としてそれは何事だということで切腹です。そういう命がけの勝負もあったということです。・・・と、こういうお話をさせて頂きました。

先生からは「正射必中」だと。心正しからずんば、矢また正しからず。もちろん勝つことは重要だけど、人格完成の武道であることを忘れてはならない。その狭間で学生はもの凄く揺れるんですよ。

―学生時代に弓道を始められたとお伺いしましたが・・・、よく武道の世界では、文字通り「道」を極めるということと、
 「競技」に勝つということを両立させる上での難しさがあるとお聞きしますが、如何でしたか?
 
 そうですね。まず、弓道に出会ったのは高校時代で、本格的には佛教大学の弓道部に入部してからでした。当時の先生が那須与一の末裔でして、流派としては尾州竹林派の流れでした。 厳しかったですが、4 年間しっかり指導して頂きまして、4 回生のときには主将も務めさせて頂きました。主将になるとやはり部員の手前、自分がしっかりと的に当てないといけない。そうじゃないと説得力がなくなる。そしてもちろん大会では勝敗が一番とされますので、そういうプレッシャーの中で、競技なのか武道なのか、常にその狭間にあるような気がしていました。弓道というのは、28M 先にある直径36CM の的に矢を射て、その的中数を競う競技なんですね。的のどこに的中してもよく、とにかく的中数が高い方が勝ちなんです。その一方で、伝統を重んじるお偉い先生方からは、「学生の射は品が無い、当てにはしっている」と言われることもあります。以前NHK の番組でも取り上げられていた日本大学弓道部出身の増渕敦人さんという方の話はまさにそうです。この方は殆ど全ての矢を当てるくらいの実力者ではあるんです。だけど、「射が卑しい」とか「ただの的当て」と酷評され、その後20 年以上かけて現在も弓道の心のあり方(極意)を模索されています。学生の頃は、勝ってなんぼと先輩から教えられたりもしましたが、先生からは「正射必中」だと。心正しからずんば、矢また正しからず。もちろん勝つことは重要だけど、人格完成の武道であることを忘れてはならない。その狭間で学生はもの凄く揺れるんですよ。きちんとした形を意識していても、当てろよ!と周りから言われると、形を崩してでも当てにはしってしまうんです。弓道は戦で用いられた弓術に始まり、武士の精神統一を目的とするものとして進化してきました。剣道も剣術からですし、柔道も元は柔術に始まっています。つまり、「人の道を志す」というものに変わっていったんです。そういう意味では仏教と同じように、悟りの境地を達するために修業をしていかないといけないんですけど、実際、現場で行われているのは勝ちにこだわる、つまり競技なんです。「道」を修める人の心得というか、本当は人格完成を目指していかなければいけない弓道ではありますが、私も学生の頃にはどうしても当てにはしり、品格を疎かにしてしまっていましたね。今は上のクラスの大会では、当たりは悪かったけど素晴らしい射をしている、というように、射品も審査するようにはなっています。射品というのはつまり「真善美」。認識上の真、倫理上の善、審美上の美。見ていてこの人は凄いなと思う人の射は、やはり美しいです。

―「道」、つまり「人格完成」を目指す上で大事なことって何だと思われますか?

 例えば、どういう先生に教わるかということはとても重要だと思います。それはつまり人との出会いの大切さですよね。仏教には、「たまたま」とか「偶然」とかいう考え方は無いんですよ。全ては「縁」で「必然」なんです。ではそういう「縁」はどうすれば引き寄せられるか?ということですが、仏教では、良いことをしたら良い縁がくる、と言われます。弓道もそうですし、その他のスポーツでも同じだと思います。縁によって全ては回っているので、自分の心が正しければ正しい縁がくる。一生懸命していると誰かが救ってくれる。仕事でもそうですよね。お金への欲が先に出て前のめりになってしまうとダメですよね。あと、道具を大事にしなさいというのも一緒です。道具を大切にする人は道具に救われる。これは弓道の先生にもよく言われました。そういう心掛けが縁に繋がり、最終的には人格完成に近づくのだと思います。

弓道というのは、負けても相手が強かったと言える競技ではないんですよね。的に自分が全て当てれば勝てるんです。しかも的が動くわけでもない。固定されている的に当たるか当たらないかは、結局は自分次第。

―自分の心が正しいかどうかは、結果的に「競技」でも大事になってくるお話ですね。

 そうだと思います。弓道というのは、負けたときに相手が強かったから仕方ないと言える競技ではないんですよね。相手がどんな強豪校だったとしても関係なく、的に自分が全て当てれば勝てるんです。しかも的が動くわけでもない、固定されている。固定されている的に当たるか当たらないかは、結局は自分次第ですよね。調子が悪いときは、「当てたい」という気持ちが強いときです。その気持ちに縛られて、身体が前のめりになって、どんどん悪い方へいってしまう。逆に調子の良いときは、何をやっても当たるんです。何も考えずに弓を引けてしまう。一番難しいのは、矢を離す瞬間なんですけど、自分で離そうと思うとダメで、離すべきときがくるまで待たないといけない。調子が良いときは、自然と離れていくんです。仏教で言うところの悟りの境地に近いところがあると思います。悟りの境地というのは、欲望を抑えているうちはまだまだで、欲望が出てこない境地のことを言うんですよ。弓道で言うと、最終の境地は「不射の射」、つまり射を撃たずに落とす。弓というのはあくまで道具であり、手段なんです。最終的な目的は人格完成ですから道具は必要なくなるんです。

―今現在は弓道をされているんですか?

 今はお寺の仕事も忙しく、なかなか時間がとれないんですけど、ただ、下鴨神社の節分祭で、龍谷大学と佛教大学の弓道部が中心になって行う追儺弓神事というのが毎年2 月にございまして、そこで指導させて頂いたり、私自身も弓を引かせて頂いたりしています。弓を引く機会が少なくなったとはいえ、この先も様々な形で弓道と向き合い、いつでも弓を引ける状態には保っていきたいなと思っています。例えば、母校の弓道部になかなか人が集まらないという現状があるようなのですが、「佛教大学の弓道部に入りたい」って思って頂けるようにサポートをする、そういう形でも弓道と関わっていこうと思っています。

スポーツの力とは、つまり「人と人とのご縁」の力。それはまさに仏様の力と一緒です。

―最後に橋本住職にとってのスポーツの力とは?

 スポーツの力とは、「人と人とのご縁」の力だと思っています。それはまさに仏様の力と一緒です。もともと私はお寺に生まれたわけではないですが、弓道のご縁で家内と一緒になり、当時全く想像もしていなかった住職という仕事を通じて、仏様の教えを広めることの出来る立場につかせて頂きました。つまり、今の私があるのは弓道が繋いでくれたご縁、つまり弓道を通じて出会った人たちにここまで来させて頂いたわけですから、その御恩を忘れてはいけないなと思います。だからこそ、そのご縁にしっかりと恩返しをする意味でも、この先、法事などをはじめ、人前でお話をさせて頂く機会では、穏やかな心を持つことの大切さや、良い行いをすれば良い出会いがあるということ、そして、人とのご縁を大切にしていくということを広めていきたいと思います。

橋本周現 はしもとしゅうげん

昭和31(1956)年3 月15 日愛知県名古屋市生まれ。岐阜県麗澤瑞浪高校卒業。
昭和49(1974)佛教大学文学部史学科東洋史専攻。
昭和53(1978)卒業後、名古屋市の宝石商浅井商店入社し松坂屋宝石サロンで宝石販売。
昭和59(1984)3 月婚約を機に京都市左京区黒谷町の西雲院にて出家得度。
昭和61(1986)年3 月浄土宗僧侶となると同時に西雲院副住職拝命。
平成17(2005)浄土宗大本山金戒光明寺執事拝命。平成23(2011)年西雲院住職拝命。