スポーツの力を使い、本当の意味での総合力で日本の可能性を広げていきたい。そうすれば、日本はもう一度世界の人達と戦えるようになる。
―――本日は川松議員の政治活動にも触れながら、「スポーツの力」というテーマで全体のお話を進めさせていただければと思います。まず、川松議員といえばラグビーですが、ラグビーを通じてスポーツの力をどのような場面で実感してこられましたか?
やはり一番は仲間です。同じチームの仲間もいれば、同じ競技をやっている他のチームの仲間、競技は違えど同時期に一緒にやってきた競技者・アスリートの方々と幅広く繋がることが出来たと思います。僕自身は学生時代にラグビーをやってきたし、あるいはアナウンサー時代には取材の中で野球や相撲にも拘わってきた訳ですけども、振り返ってみると、その繋がりは今尚かなり強固で、交流していく中でどんどん輪が広がり、色々な知恵やアイデアが浮かんでくるんです。それが結果的に僕の感性や発想の原点になっている気がします。そういう意味で、スポーツをやっていて大変良かったなと思っています。
―――以前はアナウンサーのお仕事もされていましたが。
そうですね。常に新しい事や刺激的な事をやりたいという想いがあるんです。新しい仕組みや社会を作りたいという想いで今は政治家として活動していますが、アナウンサーをしていた頃も、基本的な考え方は同じでした。当時は、メディアの世界で世の中の最先端を発信するような仕事をしたいと思ったんです。当時はスポーツ関係の中継とか実況も経験させて頂いたのですが、世界でナンバーワンを獲るような選手達に比べたらちっぽけな練習量だったかもしれませんが、自分自身もある程度苦しい練習とかを乗り越えた先の喜びなどを経験していたので、選手達の苦悩など気持ちがわかるところが多かったので取材しやすかったです。
―――選手の立場から今度は伝える側にまわられた訳ですが、視点を変える事で気づけた事や得た事はありましたか?
沢山あります。見えなかった事が見えてくるというか。選手としての見方、あるいは指導者としての見方、少し引いたところの見え方など、それぞれ全然違いましたね。例えばサッカーのロシアW 杯で監督が2 ヶ月前に代わるのはどうなんだ? と批判的な議論もありましたけど、結果的に予選リーグで結果が出せたというのは、中にいる人にしか見えない様々な事がそこにあったからだと思うんです。それってなかなか表面的に切り取れるようなものじゃない。そこをメディアが伝えていかなきゃいけないと思うんです。やっぱり本当に良ければ変えないんですよね。政治でも企業でもそうだと思います。人事にしても、仕組みにしても、良ければずっとそのまま右肩上がりに行くはず。でもそこが停滞しているから何か変化をつけなきゃいけない、というのが様々な場面にあるんじゃないかと思いますね。
2019年ラグビーW杯は、全てが国民の生活や未来に関わってくるんだという気運醸成をあと1 年でどこまで盛り上げられるか。それが僕らに課せられた使命であり、挑戦だと思っています。
―――2019年にはラグビーのW 杯が日本で開催されますが、そこに向けての課題や何を成し遂げていかないといけないかというような、今のお考えをお聞かせいただけますか?
元々ラグビーW 杯の2019年大会っていうのは、2009年に決まったんです。10 年前に決まっていて、その時は試合会場がないということが一番問題になりました。立候補していた当時、実は日本開催の大会なんですけど、香港やシンガポールのスタジアムも含めて大会をやりますという方向でアプライしていた経緯もありました。様々な議論がされていくなかで、最終的に試合会場は日本だけになりましたが、今はホスピタリティ施設が足りないということが競技場における一番の課題だと思ってます。何故ホスピタリティ施設が重要かというと、世界各国から大会中に日本を訪れるVIP更に上の「VVIP」の皆さんをしっかりとおもてなしをして、日本のことをよく知ってもらい、経済活動に繋げていく必要があるからです。
例えば、東京都内の競技場であれば、東京のことを知ってもらい、東京の企業を知ってもらい、それによって経済活動が展開されていくような「競技の外側の勝負」が重要なんです。その為には、例えば当初高額だと批判をされた国立競技場のザハ案には、そういうアプローチを可能にするパーティルーム的なものもしっかり完備されていたので、すごく良かったんじゃないかと思っていました。でも結果として、“ラグビーW 杯になんか人は集まらないでしょ〟という世論の中で、2015年7 月に国立競技場計画が一旦白紙に戻り、その2 ヶ月後の9 月にイングランドで開催されたW 杯で日本が南アフリカに勝ったことで、思っていた以上にラグビーW 杯が注目されはじめてきた! という時には、不幸な事にもう新しい国立競技場は2019年に間に合わない。ということを前提として考えていかなければならない状況です。
例えば、開会式は東京スタジアムという競技場で行いますが、この千載一遇のチャンスを逃してはいけません。W 杯開催中の限定的な機能になるかもしれませんが、競技場周辺に附随施設を建てるなり、あるいは体育館などを活用しながら、日本や東京の文化・経済をしっかりと発信する場面を落とし込む。それが2019年の、僕ら開催国にとっての大きなテーマだと思っています。
そしてもう一つ。海外からラグビーW 杯を観戦しに来られる人というのは、“お金を貯めて4 年に1 回遠い旅行に行く〟という考え方。特に今回は日本開催ですから、ヨーロッパの人たちからするとかなり遠い旅行です。更に、ラグビーW 杯はサッカーW 杯やオリンピックよりも大会の開催期間が長く、トータルで2 ヶ月です。だからこそ、この期間中に、世界から来るサポーターや関係者が日本中を観光しながら次の試合会場へ行くような仕組みを作る必要があります。開催都市と開催都市を繋ぎ、観光地の魅力発信をしながら経済活動が出来る。そして、観光をしてくれた海外の人達が“日本のこういう所に感動しました〟“こういう製品も魅力的だね〟という内容をSNSで発信してくれる事によって、更なる次の需要関係が出来る可能性もあります。そういったソフト面の準備を今から1 年かけてしっかりとやっていかないと、勿体無い大会になってしまうと思っています。そういう意味では、まだまだラグビーW 杯に対しての国内の認知度が低いことは大きな課題ですね。
―――そういう社会インフラ面がなかなか追いつかない原因はどういったところにあるんでしょうか?
スポーツはスポーツ、文化は文化、観光は観光、経済活動は経済活動、というように切り離して考えるという固定概念に引っぱられすぎているんじゃないかなと思います。これらを全部一つにして総合的に2019年・2020年を盛り上げるという可能性を作る頭の柔軟性が今は求められています。例えばラグビーW 杯に携わる人達はラグビー関係者達だけ、という考え方ではなく、あらゆるスポーツ関係者や自治体の方々も一緒になって、全てが国民の生活や未来に関わってくるんだという気運醸成をあと1 年でどこまで盛り上げられるか。それが僕らに課せられた使命であり、挑戦だと思っています。
今の東京の経済活動・都市活動があって、その上乗せで効率よくオリンピックの活動が乗っかる事で、東京という街が更に大きく発展するイメージが重要。
―――その辺りの課題は2020年の東京オリンピック・パラリンピックに類似している所はやはりありますか?
ありますね。このままいけば2019年のラグビーW 杯も2020年のオリンピック・パラリンピックも、開催は出来るし、閉会式も無事に迎えられると思います。だけどクオリティをもっと高めるという意味では、まだまだ課題があると思います。ただやっただけの大会にしてはいけません。2019年、2020年があったからそこから10 年後の東京や日本があるというようにしていくには、もっともっとソフト面にみんながこだわり、大会を盛り上げていくという雰囲気作りが必要じゃないかなと思ってます。
小池都知事が誕生した以降、道路や選手村の工事などに何故こんなにお金がかかるんだというような雰囲気があり、環状2 号線というオリンピックの肝に使おうとしていた道路が完成しない事など、ハード面の整備が2020年にどうにも間に合わないという状況になってしまっていることは大変残念だなと思います。例えば、直近のリオデジャネイロや様々な大規模なスポーツ大会では、経済活動を止めないために「大会専用レーン」を設けてきたんですが、今の東京オリンピックの方針では、首都高速道路を使いながら選手や関係者の移動を行うということなんです。首都高速道路を使うと専用レーンは作れません。というのは、東京の高速道路は出口が右にも左にもあり、選手や関係者車両と一般車両が必ず混ざってしまうので、1 車線だけ専用レーンにすることが出来ないんですよ。おそらく2 日目以降は様々な競技によって、代々木に行く人、千葉に行く人、湾岸部に行く人など分散するんですけど、開会式の日だけは国立競技場に8 万人もの人が一点集中して集まってくるので、ここはオペレーションが非常に難しいと思います。そこに経済活動が乗っかってくると恐らく混乱しますよね。
だから我々もオリンピックの開会式当日を、2020年だけ変則的に祝日をずらしてほしいという要請をし、今回、国会で通りました。休日にすることで銀行が止まれば、ある程度経済活動は止まるわけですよ。かといってなんでもかんでも休日を増やすと、今度は社会の生産性が落ちるので、今ある休日数を増やさず、休日を移す事が一番ベターだという判断です。今はそういう、すごく単純でいてレベルの高いテーマにぶつかってます。オリンピックの成功は大事ですが、その為に2020年7 月の物流をはじめとした経済活動が止まるのはよくない。今の東京の経済活動・都市活動があって、その上乗せで効率よくオリンピックの活動が乗っかる事で、東京という街が更に大きく発展するイメージが重要です。
―――なるほど。あともう一つパラリンピックのお話で、本当にサポートしないといけない所はコスト面だっていうのも普段僕らが生活していたら見えてなかったなと思いました。
ダイバーシティの実現などを通して、障害者スポーツやパラリンピックを盛り上げましょうというのは確かに多くの人が言っています。もちろん、大会を見る人を増やしましょうというのは一つのKPIとしては大切かもしれません。しかし、障害者スポーツに取り組む背景には色々あって、例えば、先天性の障害の方もいれば、後から事故にあったり病気になった方々もいるんですが、そういう方々は我々には想像も出来ないような苦労をしてきています。そこに直接支援していくという考え方が重要だと思います。僕は身近にそういう選手がいたからこそ知る事ができた事実です。ただ単にワンルームに住むとしても、ある程度段差のない所にしないといけなかったり、車椅子があれば家の中でちゃんとターンを出来るようなスペースが必要だったりして家賃も高くなってしまう。障害者枠で様々な企業に採用してもらえたりもしますが、どうしても月給もそんなに沢山もらえない仕組みになるので、家賃や日々の生活費が圧迫する。それに加えてトレーニングする為の移動や器具に必要なコストを考えると、パラスポーツのトップレベルの人達でも苦労してるんじゃないかなと思います。こういう側面に光が当たり、同時にサポート出来るような2020年の競技大会にすべきじゃないかなというのが僕の想いですね。
おそらく、オリンピックの閉会式が終わり、パラリンピックの開会式そして閉会式への進むにつれて規模感も小さくなってしまうし、世間の熱も今のままだと冷めてしまうのではと懸念しています。リオもそうだし、ロンドンもパラリンピックが成功したと言われてますけど、やっぱりオリンピックに比べたら規模的なものはかなり縮小していったように僕は感じています。そういったこともみんなで考えるべきかなと。オリンピックとパラリンピックの両方をみんなで応援しようというレガシーがしっかりと作れていければ、将来振り返った時に、2020年東京でオリンピック・パラリンピックをやって良かったなと思えるはずです。
アスリートでも学力でのエリートでも、本当に凄い人は凄い。一流の人たちが持っているアイデアなどを街づくりに活かしていくべき。
―――川松さんが政治活動をされていく中で、スポーツの力を通じてどういう東京都・日本にしていきたいですか?
例えばスポーツの力を上手く使う事によって海外の方との交流が出来ますよね。僕も大学時代は日本に初めて来るトンガの選手と暮らしていて、日々の生活を支えたりする事によって、いわゆる異文化交流をスポーツを通じてやってきました。今でも、たとえば南アフリカやニュージーランドなどに行った際、その競技の会長に会うと、スポーツという一つ共通言語がある事によって色々な展開があるわけですね。そういう意味で、スポーツの力が少年野球や高校野球で止まってしまっている人はすごく勿体無いなと思います。野球なら野球を武器に色々な人と語って仲間を増やして、それを日々の社会活動に繋げていけると思うし。その可能性をみんなで追求していく事がスポーツの力で社会を盛り上げていく事になると思うんです。
昔はスポーツをやっていた人は、学力でいうところのエリート集団とは何か相反するものがあるような風潮が日本の社会の見方でした。でも、海外のスポーツ界のトップにいる人達を見ると、経営者やドクター、弁護士で成功している人が多かったですし、日本も徐々にそうなってきていると思います。教科書を読んだり勉強を沢山してきて点数を取るのが上手な人もいます。これは他の人には真似出来ない素晴らしい能力です。一方で一生懸命走ったり泳いだりして身体的能力を高め、その中でも世界大会に出て行くような人というのは、また違う素晴らしい世界観を持っています。そういう人たちがアイデアを出し合い、有意義な議論が出来る事が重要です。
そのためには、子供達に対しても“スポーツだけやっていればいいんだ” というような教育環境を取り除いてあげないといけません。スポーツでプロアスリートやオリンピックを目指す人ほど、人並み以上の国語力や英語力、哲学なんかも学ばないといけない時代がくると思います。肩書き・経歴とかだけで判断する社会が良くないのであって、目の前にいる人が何を喋っているか、どんな空気を出しているかで人の判断が出来るような社会の実現に、スポーツをやって来た人達が先頭に立って変えていけるようにするべきです。全然別の分野だからといって切り離すのは日本にとって財産を自ら捨てているようなものです。アスリートでも学力でのエリートでも、本当に凄い人は凄い。一流の人たちが持っているアイデアなどを街づくりに活かしていくべきだと思います。
ラグビーW杯や東京オリンピック・パラリンピックを機に、スポーツの力を使って本当の意味での総合力で、2030年・2040年の日本の可能性を広げていきたい。そうすれば、日本はもう一度世界の人達と戦えるようになると思います。
墨田区選出の東京都議会議員。TOKYO 自民党所属。2003 年に日本大学法学部法律学科を卒業し、テレビ朝日アナウンサーとして8 年勤務。2013 年の東京都議会議員選挙で初当選(現在2 期目)。2017 年4 月からは都議会豊洲市場移転の委員にも指名され、市場問題の早期解決に向けて、連日連夜、議会活動に励む。現在の役職は、東京都議会 文教委員会副委員長(2018 年8 月まで)、東京都議会オリンピック・パラリンピック等推進対策特別委員会委員、東京都歴史文化財団 評議員、TOKYO自民党青年部副部長、墨田区ラグビー協会会長、関東ラグビー協会委員など。