能登珠洲市へ走る「こがしバターケーキ」の部屋

能登半島を襲った震度7の地震、2024年の1月1日は忘れられない日になった。知人の親戚も珠洲市在住で、村への道路が封鎖され連絡も取れずに安否確認が出来ない状況。いても立ってもいられずとりあえず大阪から現地へ向かう決断をしたという。

こんな話を聞くと”自分には何が出来るのだろうか?”阪神淡路大震災も直接の被害こそなかれ大阪で大きな揺れと死の恐怖を感じ。東日本の震災時は東京で同じ恐怖を経験した。

いつどこで何が起こっても不思議ではない日本列島に暮らしている日本人の宿命か。テレビに映し出される避難所やインフラの壊滅的な状況を見るにつけ疑問に思うのは、能登半島では1年前からその予知現象があったのに国や行政はそれなりの準備が出来なかったのか、街の構造から予測出来る救いの手立てはなかったのか?

災害時には、消防団・警察・自衛隊と命をかけて活動して頂き、一般人のボランティアの方々が手弁当で駆けつける。一方、政治家は裏金・スキャンダルにまみれ税金を愚弄する。こんな様子をつぶさに見ているこの国の子供たちに大人と呼ばれる私達はどんな顔で接すれば良いのか・・・自分は何をすれば良いのか?

そんな中、珠洲市に向かう友人より相談があり、被災地の方は甘いものを求めているお菓子を差し入れしたいがどこかお菓子メーカーを知らないか?との事だった。

そこで、このスポーツのチカラファミリーでもある、古くからの友人で大阪泉南に本社を置く「むか新」の社長が、僕も何が出来るのか考えていたところでお役に立つのであればと、人気の看板商品「こがしバターケーキ」を無償で提供して頂けたとの事。

次々に積まれていくこがしバターケーキの箱、トラックいっぱいに広がるバターケーキの香りは、まさに真心の味。

珠洲市に到着し、親戚の無事も確認でき、差し入れも喜んで頂けたとの話を聞いて想いの大切さ、思いやり、行動を起こす事でつながる気持ちが人生の宝物だと感じる。

災害や事故に見舞われれば当たり前に、そうでない平常時にも心を寄せる事の出来る人間にはなりたいと思う。

こがしバターケーキが教えてくれた大切なものを受け取りました!!